【問題】西郷隆盛に関する説明で正しいものを選べ
- (A)幕臣の勝海舟との会談を行い、江戸城を無血開城させた
- (B)征韓論で下野し、郷里で征韓党の首領として反乱を起こした
- (C)長州藩で正規兵以外の人々からなる軍隊「奇兵隊」を編成した
【応用問題】上記の選択肢で西郷隆盛でないものは、誰のことか述べよ
ヒント:西郷隆盛が生きた時代
1837年 |
大塩平八郎の乱 |
1853年 |
ペリーが浦賀に来航 |
1863年 |
薩英戦争 |
1868年 |
戊辰戦争 |
1873年 |
地租改正条例 |
大学入試「日本史B」に出る西郷隆盛のポイント
- 薩摩藩士
- 1827年〜1877年(江戸末期〜明治初期)
- 倒幕・明治維新に功績のあった「維新の三傑」の一人(他は木戸孝允、大久保利通)
- 坂本龍馬の仲介で長州藩の木戸孝允と薩長同盟を結ぶ
- 戊辰戦争では、幕府軍の勝海舟と会談を行い、江戸城を無血開城させた
- 征韓論を唱えたが、大久保利通ら内治優先論に反対され下野
- 征韓論とは…鎖国政策の朝鮮に対し、武力を持って開国を迫るもの
- 下野してからは鹿児島で私学校を開いた
- 私学校生を中心に「西南戦争」を起こすが政府軍に鎮圧された
- 西南戦争の戦費調達のために「西郷札」という紙幣を発行
【正解】
(A)幕臣の勝海舟との会談を行い、江戸城を無血開城させた
- 西郷隆盛は戊辰戦争では新政府軍として幕府軍の勝海舟と会談した
【応用問題の正解】
- (B)征韓党の首領として反乱を起こした → 江藤新平
- (C)「奇兵隊」を編成した → 高杉晋作
西郷隆盛は征韓論で下野した後は鹿児島で私学校を開いている。
江藤新平が征韓党の首領として起こした反乱は「佐賀の乱(1874年)」と呼ばれる。