日本史Bの人物問題集(北条時頼)
【問題】北条時頼に関する説明として正しいものを選べ
- (A)元寇の時の執権で、異国警固番役を設けた
- (B)宝治合戦にて御家人の三浦泰村を滅ぼした
- (C)評定衆を設けて合議制による政治を進めた
【応用問題】上記の選択肢で北条時頼でないものは、誰のことか述べよ
ヒント:北条時頼が生きた時代
1232年 | 御成敗式目(貞永式目)制定 |
---|---|
1247年 | 宝治合戦 |
1252年 | 宗尊親王を皇族将軍として迎える |
1254年 | 橘成季「古今著聞集」 |
1260年 | 日蓮「立正安国論」 |
大学入試「日本史B」に出る北条時頼のポイント
- 鎌倉幕府第5代執権
- 1227年〜1263年(鎌倉時代)
- 評定衆の下に引付衆を新たに設ける
- 評定衆は3代執権の泰時が設けたもので、重要政策の決定や裁判を行う
- 引付衆は評定衆を補佐し御家人たちの裁判を行う
- 宝治合戦(1247年)にて三浦泰村を滅ぼす
- 第5代将軍の藤原頼嗣を京都に追放
- 後嵯峨天皇の皇子宗尊親王を皇族将軍として迎える
【正解】
(B)宝治合戦にて御家人の三浦泰村を滅ぼした
- 北条時頼は、宝治合戦(1247年)で三浦泰村を滅ぼし、北条氏の地位を不動のものとした
【応用問題の正解】
- (A)元寇の時の執権で、異国警固番役 → 北条時宗
- (C)評定衆を設けて合議制による政治 → 北条泰時
北条時頼は評定衆の下に引付衆を新たに設けている。
泰時(3代執権)の孫が時頼(5代執権)で、その子が時宗(8代執権)。