日本史Bのネット問題集(北條時宗)
【問題】北条時宗に関する説明で正しいものを選べ。
- (A)日本最初の武家法となる御成敗式目を制定した
- (B)宝治合戦で三浦泰村一族を滅ぼした
- (C)元からの朝貢の要求を断った
ヒント:北条時宗が生きた時代
1252年 | 宗尊親王を皇族将軍として迎える |
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1260年 | 日蓮が「立正安国論」を記す |
1274年 | 文永の役 |
1279年 | 一遍が「踊念仏」を始める |
1281年 | 弘安の役 |
大学入試「日本史B」に出る北条時宗
- 鎌倉幕府第8代執権
- 1251年〜1284年(鎌倉時代)
- 北条時頼(第5代執権)の子
- 元寇(文永の役、弘安の役)の時の執権
- 元の襲来に対して、異国警固番役(いこくけいごばんやく)を設けた
- 元寇は2回とも暴風雨もあり、元が撤退することとなった
- 「得宗」とよばれる北条氏の嫡流の当主のひとり
- 時宗の頃から得宗と御内人による専制化(得宗専制政治)が進んだ
【正解】
(C)元からの朝貢の要求を断った
- 朝貢の要求を断ったことで元が北九州に襲来することとなった(元寇)
- 元寇(文永の役、弘安の役)の時の執権が北条時宗
- 御成敗式目を制定したのは、北条泰時(第3代執権)
- 宝治合戦で三浦泰村一族を滅ぼしたのは、北条時頼(第5代執権)