日本史Bの人物問題集(足利義満)
【問題】足利義満に関する説明として正しいものを選べ
- (A)永享の乱で鎌倉公方の足利持氏を討った
- (B)享徳の乱で関東管領の上杉憲忠を暗殺した
- (C)明徳の乱で守護大名の山名氏清を滅ぼした
【応用問題】上記の選択肢で足利義満でないものは、誰のことか述べよ
ヒント:足利義満が生きた時代
1378年 | 花の御所を造営 |
---|---|
1392年 | 南北朝の合一 |
1397年 | 金閣寺 |
1400年 | 世阿弥「風姿花伝」 |
1404年 | 勘合貿易が始まる |
大学入試「日本史B」に出る足利義満のポイント
- 足利第3代将軍
- 1358年〜1408年
- 南朝側との交渉により南北朝の合体を実現
- 京都の室町に花の御所と呼ばれる将軍邸を立てる
- 明との間で勘合貿易を始める
- 奉公衆という将軍直属の軍事組織を設置
- 明徳の乱、応永の乱で有力守護大名を滅ぼす
- 将軍を辞めたあとも太政大臣となり実権を持つ
- 京都の北山に金閣寺(鹿苑寺)を建立
- 死後に朝廷から太上法皇の称号を贈られたが子の義持が辞退した
【正解】
(C)明徳の乱で守護大名の山名氏清を滅ぼした
- 足利義満は、明徳の乱、応永の乱で有力守護大名を滅ぼすことで統制を図った
- 明徳の乱は西国11国の守護で六分一殿と称された山名氏清を滅ぼしたもの
- 明徳の乱も応永の乱も義満の挑発により引き起こされた
【応用問題の正解】
- (A)永享の乱 → 足利義教(6代将軍)が足利持氏(鎌倉公方)を討つ
- (B)享徳の乱 → 足利成氏(鎌倉公方)が上杉憲忠(関東管領)を暗殺