日本史Bの人物問題集(足利尊氏)
【問題】足利尊氏に関する説明で正しいものを選べ
- (A)幕府の有力御家人ながら、幕府に背いて六波羅探題を攻め落とした
- (B)鎌倉幕府滅亡に際し、鎌倉を攻め落として北条氏を滅ぼした
- (C)元弘の変に際し、後醍醐天皇の呼びかけに応じて挙兵した
【応用問題】上記の選択肢で足利尊氏でないものは、誰のことか述べよ
ヒント:足利尊氏が生きた時代
1317年 | 文保の和談 → 幕府の提案による皇位継承の協議 |
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1324年 | 正中の変 → 元弘の変(1331年)とともに後醍醐天皇による倒幕計画 |
1331年 | 兼好法師「徒然草」 |
1333年 | 鎌倉幕府滅亡 |
1334年 | 建武の新政 → 天皇中心の政治を進めるが、武士の不満が広がる |
大学入試「日本史B」に出る足利尊氏のポイント
- 室町幕府初代将軍
- 1305年〜1358年
- 六波羅探題を攻め落とし、鎌倉幕府の滅亡に貢献
- 後醍醐天皇の名「尊治」から一字もらい「高氏」から「尊氏」と名乗る
- 後醍醐天皇による建武の新政に反発
- 湊川の戦い(1336年)で、楠木正成、新田義貞を破る
- 北朝の光明天皇により征夷大将軍に任命された
- 幕府の方針を定めた「建武式目」を制定
- 観応の擾乱(かんのうのじょうらん)では、弟の足利忠義と対立
【正解】
(A)幕府の有力御家人ながら、幕府に背いて六波羅探題を攻め落とした
- 足利尊氏は、幕府の有力御家人であったが、後醍醐天皇の倒幕に協力した
- この功績により「尊」の字をもらい、高氏から尊氏と名乗るようになった
【応用問題の正解】
- (B)鎌倉を攻め北条氏を滅ぼした → 新田義貞
- (C)元弘の変で挙兵した → 楠木正成
足利尊氏は倒幕後に後醍醐天皇と対立したことから、新田義貞、楠木正成と戦うこととなる