日本史Bの人物問題集(大隈重信)
【問題】大隈重信に関する説明として正しいものを選べ
- (A)大蔵卿として中央銀行となる日本銀行を設立した
- (B)佐賀藩出身で司法卿として司法制度の整備に尽力した
- (C)国会の早期開設を主張し、明治14年の政変で下野した
【応用問題】上記の選択肢で大隈重信でないものは、誰のことか述べよ
ヒント:大隈重信が生きた時代
1868年 | 五箇条の誓文 |
---|---|
1872年 | 福沢諭吉「学問のすすめ」初編発行 |
1889年 | 大日本帝国憲法発布 |
1904年 | 日露戦争(〜05年) |
1914年 | 第一次世界大戦(〜18年) |
日本が第一次世界大戦に参戦した時の首相が大隈重信。
既に政界から引退していたが担ぎ出せれて就任した。
大学入試「日本史B」に出る大隈重信のポイント
- 政治家
- 1838年〜1922年
- イギリス流の議院内閣制の早期導入を主張
- 明治14年の政変で伊藤博文と対立し下野
- 国会開設の勅諭を受けて、立憲改進党を結成
- 黒田内閣下では外相として不平等条約の改正に尽力
- 条約改正は国別に交渉を進めたが、大審院への外国人判事の任用を認めていたことが反発を招く
- 日本初の政党内閣「隈板内閣」で、首相兼外務大臣となる
- 隈板内閣の「隈」は大隈重信、「板」は板垣退助(内相)を意味する
- 東京専門学校(のちの早稲田大学)を創設
- (参考)慶應義塾を創設したのは福沢諭吉
【正解】
(C)国会の早期開設を主張し、明治14年の政変で下野した
- 大隈重信は国会の早期開設を主張し、伊藤博文らと激しく対立した
- 大隈が罷免されたあとで国会開設の勅諭が出される
【応用問題の正解】
- (A)大蔵卿として日本銀行を設立した → 松方正義
- (B)司法卿として司法制度の整備に尽力 → 江藤新平
大隈重信も大蔵卿だったが、日本銀行を設立したのは大隈のあとの松方正義。
司法卿として司法制度を整備したのは大隈重信と同じ佐賀藩出身の江藤新平。