日本史Bの人物問題集(黒田清隆)
【問題】黒田清隆に関する説明として正しいものを選べ
- (A)不平等条約改正のために欧化政策を採り、鹿鳴館を建設した
- (B)政府の政策は政党の意向に左右されないという超前主義を首相として表明した
- (C)来日中のロシア皇太子が斬りつけられた大津事件の責任を取って外相を辞任した
【応用問題】上記の選択肢で黒田清隆でないものは、誰のことか述べよ
ヒント:黒田清隆が生きた時代
1841年 | 天保の改革 |
---|---|
1853年 | ペリーが黒船で来航 |
1883年 | 鹿鳴館が出来る |
1885年 | 坪内逍遥「小説神髄」 |
1889年 | 大日本帝国憲法発布 |
大学入試「日本史B」に出る黒田清隆のポイント
- 政治家
- 1840年〜1900年
- 第2代内閣総理大臣
- 開拓使官有物払下げ事件で失脚
- 開拓使官有物払下げ事件とは…開拓長官であった黒田清隆が官有物を不当に安い値段で政商に払い下げようとした事件
- 超前主義を首相として初めて表明
- 超前主義とは…政府の政策は政党の意向に左右されないという立場
- 大日本帝国憲法(明治憲法)が交付された時の首相
【正解】
(B)政府の政策は政党の意向に左右されないという超前主義を首相として表明した
- 首相としてはじめて超前主義を表明したのが黒田清隆。
- 超前主義は日本最初の衆議院選挙が行われる前に政府側から主張された。
【応用問題の正解】
- (A)欧化政策を採り、鹿鳴館を建設した → 井上馨
- (C)大津事件の責任を取って外相を辞任 → 青木周蔵
井上馨は第一次伊藤内閣の外相として条約改正に尽力。
青木周蔵は松方内閣での外相。