日本史Bの人物問題集(伊藤博文)
【問題】伊藤博文に関する説明で正しいものを選べ
- (A)日清両国の朝鮮からの撤兵を定めた天津条約を日本側全権として締結した
- (B)脱亜論で欧米から清や朝鮮と同一視されることが日本の不利益だと主張した
- (C)韓国併合により京城(現在のソウル)に設置された朝鮮総督府の初代総督となった
【応用問題】上記の選択肢で伊藤博文でないものは、誰によるものか述べよ
ヒント:伊藤博文が生きた時代
1853年 | ペリーが黒船で来航 |
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1872年 | 「学問のすすめ」初編発行 |
1889年 | 大日本帝国憲法発布 |
1894年 | 日清戦争(〜95年) |
1904年 | 日露戦争(〜05年) |
大学入試「日本史B」に出る伊藤博文
- 政治家
- 1841年〜1909年
- 初代の内閣総理大臣(第5代、第7代、第10代の総理大臣でもある)
- 政府使節団の代表として憲法草案作りのためにヨーロッパに渡る
- 1884年に開設された制度取調局の長官となり憲法の起草や内閣制度の準備を進めた
- 陸奥宗光とともに日清戦争の講和条約である下関条約に調印
- 政界の一線から退いたあとも「元老」として影響力を行使した
- ロシアに対しては、満韓交換論を主張
- 初代の韓国統監となる
- ハルビンで安重根に暗殺される
【正解】
(A)日清両国の朝鮮からの撤兵を定めた天津条約を日本側全権として締結した
- 天津条約は1885年に締結され、これにより日清両国が朝鮮に出兵する場合は事前に通告することとなった
応用問題の正解
- 「(B)脱亜論」を唱えたのは、福沢諭吉
- 「(C)朝鮮総督府の初代総督」は、寺内正毅
伊藤博文は、初代の韓国統監で、朝鮮総督府は伊藤博文の暗殺後に設置されたもの