日本史Bのネット問題集(板垣退助)
【問題】板垣退助に関する説明で正しいものを選べ。
- (A)立志社建白を天皇に提出しようとしたが、却下された
- (B)西郷隆盛らとともに征韓論を唱えたが、政府で否決された
- (C)国会の早期開設を求めたが、明治十四年の政変で罷免された
ヒント:板垣退助が生きた時代
1853年 | ペリーが黒船で来航 |
---|---|
1877年 | 西南戦争 |
1889年 | 大日本帝国憲法発布 |
1890年 | 森鴎外「舞姫」発表 |
1904年 | 日露戦争 |
大学入試「日本史B」での板垣退助の重要ポイント
- 自由民権運動の中心人物
- 1837年〜1919年(幕末〜明治時代)
- 戊辰戦争では土佐藩の軍人として功績を上げた
- 西郷隆盛らとともに征韓論を唱えたが、否決され下野した(明治六年の政変)
- 後藤象二郎らとともに愛国公党を結成し、民撰議院設立の建白書(1874年)を提出
- 前年に土佐で結成した立志社をもとに、大阪で愛国社を設立(1875年)
- 大久保利通、木戸孝允との大阪会議(1875年)で立憲制への移行が決定した
- 1881年に自由党を結成し、自ら党首(総理)となる
- 日本初の政党内閣となった第一次大隈内閣(隈板内閣)で内務大臣を務める
- 遊説先で暴漢に襲われた際の「板垣死すとも、自由は死せず」の言葉が有名
【正解】
(B)西郷隆盛らとともに征韓論を唱えたが、政府で否決された
- 板垣は、征韓論が否決されたことで、下野することとなった(明治六年の政変)
- 立志社建白を天皇に提出しようとしたのは、片岡健吉
- 明治十四年の政変で罷免されたのは、大隈重信