日本史Bの人物問題集(浜口雄幸)
【問題】浜口雄幸に関する説明として正しいものを選べ
- (A)犬養内閣で大蔵大臣として金輸出の再禁止を実施した
- (B)不平等条約の改正案をめぐり玄洋社の青年から襲撃を受けた
- (C)首相の時に重要産業統制法を制定しカルテルの結成を容認した
【応用問題】上記の選択肢で浜口雄幸でないものは、誰のことか述べよ
ヒント:浜口雄幸が生きた時代
1889年 | 大日本帝国憲法発布 |
---|---|
1904年 | 日露戦争 |
1915年 | 芥川龍之介「羅生門」 |
1923年 | 関東大震災 |
1929年 | 世界恐慌 → 日本でも昭和恐慌と呼ばれる不況に |
大学入試「日本史B」に出る浜口雄幸のポイント
- 政治家
- 1870年〜1931年
- 第27代内閣総理大臣
- 首相の時に金輸出解禁を実施
- 不況対策として緊縮財政と産業合理化を進める
- 重要産業統制法を制定し不況カルテルの結成を容認
- 日中関税協定を締結し、条件付きながら中国に関税自主権を認める
- 海軍の反対にもかかわらずロンドン海軍軍縮条約に調印したことで、統帥権の干犯だとの批判を受ける
- 統帥権干犯問題で右翼の青年に東京駅で狙撃される
- ライオン宰相と呼ばれ庶民に人気があった
【正解】
(C)首相の時に重要産業統制法を制定しカルテルの結成を容認した
- 浜口雄幸は不況対策として重要産業統制法を制定するなど産業合理化を進めた
【応用問題の正解】
- (A)大蔵大臣として金輸出の再禁止 → 高橋是清
- (B)玄洋社の青年から襲撃を受けた → 大隈重信
金輸出の解禁を行ったのが浜口雄幸(首相)で、再禁止したのが高橋是清(蔵相)。
外国人判事を導入する案をめぐって襲撃を受けたのが大隈重信。
浜口雄幸も右翼青年から襲撃を受けている(理由は統帥権の干犯をめぐって)。