【問題】福沢諭吉に関する説明で間違っているものを選べ。
- (A)脱亜論で日本が欧米列強に近づくためにアジアから脱却することを唱えた
- (B)勝海舟が艦長を務めた咸臨丸(かんりんまる)でアメリカに渡った
- (C)板垣退助らと憲政党を結成し、内閣総理大臣となった
ヒント:福沢諭吉が生きた時代
1853年 |
ペリーが黒船で来航 |
1868年 |
五箇条の誓文 |
1871年 |
廃藩置県 |
1885年 |
初代内閣(伊藤博文内閣)誕生 |
1889年 |
大日本帝国憲法発布 |
大学入試に出る福沢諭吉
- 思想家、教育者
- 1834年〜1901年(主に明治初期に活躍)
- 「学問のすすめ(1872年-明治5年)」「文明論之概略」「西洋事情」を執筆
- 「学問のすすめ」は「天は人の上に人をつくらず」という文が有名
- 「文明論之概略」は西洋と日本の文明を比較し、国家と個人の独立のためには西洋文明を取り入れることが必要と唱えている
- 「西洋事情」は当時の欧米の状況を説明したもの
- 「時事新報」という日刊新聞を創刊
- 脱亜論では、日本が欧米列強に近づくためにアジアから脱却することを唱えている
- 1860年に勝海舟が艦長を務めた咸臨丸(かんりんまる)でジョン万次郎らとともにアメリカに渡っている
【正解】
(C)板垣退助らと憲政党を結成し、内閣総理大臣となったが間違い
- 福沢諭吉は著述家、教育者として活動しており、政治家として大臣は経験していない
- 「板垣退助らと憲政党を結成し、内閣総理大臣となった」のは大隈重信
- 福沢諭吉が慶應義塾(大学)を創設したのに対し、大隈重信は東京専門学校(後の早稲田大学)を創設している