あれこれ日本史年表問題(9)養老七年の格
日本史年表問題(9)養老七年の格とは何のことか?
(ア)養老律令
(イ)三世一身の法
(ウ)墾田永年私財法
(エ)百万町歩開墾計画
ヒント&チェック
人口が増加に伴い口分田が不足したことで、新たな土地の開墾を奨める政策が取られました。
農民に食料や道具を支給して、良田100万町歩を開墾しようとしたものが百万町歩開墾計画。この計画が上手くいかなかったので、続いて出されたのが三世一身の法です。
三世一身の法は、新たな灌漑施設を設けて開墾すれば親子三代にわたり、その土地の所有を認めるというもの。
これをさらに進めて土地の所有を永遠に認めるものが墾田永年私財法です。
関連日本史年表
西暦 | トピック | 備考 |
---|---|---|
722年 | 百万町歩開墾計画 | |
723年 | 三世一身の法 | 養老七年の格 |
724年 | 多賀城の建設 | 東北地方の拠点となる |
729年 | 長屋王の変 | |
740年 | 藤原広嗣の乱 | 九州の大宰府で起きたもの |
三世一身の法が施行された723年が養老7年だったので、養老七年の格と呼ばれました。
日本史年表問題の正解
(イ)三世一身の法
百万町歩開墾計画と三世一身の法は長屋王が政治の実権を握っていたときに出されたものです。
長屋王が藤原四兄弟により自殺させられたのが長屋王の変(729年)です。
このため長屋王の変よりも前に百万町歩開墾計画も三世一身の法も出されています。