あれこれ日本史年表問題(3)聖徳太子

あれこれ日本史年表問題(3)聖徳太子

あれこれ日本史年表問題(3)聖徳太子

日本史年表問題(3)古い順に並べたものは?

(ア)遣隋使の派遣(小野妹子)→冠位十二階の制定→憲法十七条の制定
(イ)遣隋使の派遣(小野妹子)→憲法十七条の制定→冠位十二階の制定
(ウ)冠位十二階の制定→憲法十七条の制定→遣隋使の派遣(小野妹子)
(エ)憲法十七条の制定→冠位十二階の制定→遣隋使の派遣(小野妹子)

 

ヒント&チェック

聖徳太子(厩戸王)は推古天皇のもとで摂政となり、蘇我馬子とともに政治を行いました。

 

聖徳太子の政治としてゼッタイに覚えておきたいのが3つ。

  • 冠位十二階
  • 憲法十七条
  • 遣隋使

冠位十二階は、役人の採用を世襲ではなく個人の能力により決めるもの。
憲法十七条では、「和をもって貴しとなし、さからうことなきを宗となせ」が有名です。

 

また、歴史書の「天皇記」や「国記」を編纂したことも覚えておきましょう。

 

関連日本史年表
西暦 トピック 備考
593年 聖徳太子が摂政に 推古天皇の下で政治を行う
603年 冠位十二階の制定 徳・仁・礼・信・義・智
604年 憲法十七条の制定
607年 遣隋使の派遣 小野妹子
607年 法隆寺の建立 別名斑鳩寺

遣隋使に同行した高向玄理、南淵請安、旻らの留学生、学問僧ものちに思想・文化面で影響を与えました。

 

日本史年表問題の正解

(ウ)冠位十二階の制定→憲法十七条の制定→遣隋使の派遣(小野妹子)

 

遣隋使を派遣して隋(中国)に倣って冠位十二階や憲法十七条を制定したのではありません。勘違いしやすいので気をつけましょう。

 

遣隋使の派遣(小野妹子)は、冠位十二階、憲法十七条の制定のあとのできごとです。