あれこれ日本史年表問題(13)藤原氏の他氏排斥
日本史年表問題(13)出来事の順番として正しいものは?
(ア)薬子の変→昌泰の変→応天門の変
(イ)薬子の変→承和の変→応天門の変
(ウ)承和の変→昌泰の変→応天門の変
(エ)承和の変→薬子の変→応天門の変
ヒント&チェック
問題の選択肢の中には平安初期に藤原氏が他氏を排斥して権力を握っていく中で起きた出来事が含まれています。
昌泰の変は、藤原時平により右大臣だった菅原道真が大宰府に左遷された事件です。菅原道真は左遷された2年後に亡くなりました。
関連日本史年表
西暦 | トピック | 備考 |
---|---|---|
810年 | 薬子の変 | 「平城太上天皇の変」とも呼ばれる |
842年 | 承和の変 | 伴健岑、橘逸勢が失脚 |
858年 | 藤原良房が摂政になる | 藤原良房は藤原氏の北家 |
866年 | 応天門の変 | 伴氏、紀氏の失脚 |
884年 | 藤原基経が関白になる | 藤原基経は良房の養子 |
894年 | 遣唐使を廃止 | 菅原道真により遣唐使は廃止された |
901年 | 昌泰の変 | 菅原道真が左遷される |
藤原氏による他氏の排斥として最初に出てくるのが承和の変(じょうわのへん)です。この出来事で伴健岑、橘逸勢が失脚したことで藤原良房が権力を握ることとなりました。
良房はさらに応天門の変で伴氏、紀氏を失脚させました。藤原良房は「臣下として初めて摂政となった人物」としても覚えておきましょう。
その後、良房の養子の藤原基経が関白となり藤原氏が政治を動かしていましたが、藤原氏を外戚としない宇多天皇が即位すると、摂政・関白を置かずに、菅原道真を重用しました。
これに対して藤原氏が道真を左遷したのが昌泰の変(しょうたいのへん)です。
日本史年表問題の正解
(イ)薬子の変→承和の変→応天門の変