あれこれ日本史年表問題(2)古代
日本史年表問題(2)崇峻天皇を暗殺したことで政治の実権を握った人物は?
(ア)蘇我馬子
(イ)蘇我入鹿
(ウ)蘇我稲目
(エ)蘇我蝦夷
ヒント&チェック
選択肢のいずれもこの時代に出てくる人物です。
仏教伝来の際には、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏のあいだで対立が起こりました(崇仏論争)。そのときの崇仏派の中心人物が選択肢の中にいます。
政治の実権を握った蘇我氏ですが乙巳の変(645年)で中大兄皇子らに滅ぼされてしまいます。そのときの親子も選択肢に含まれています。
関連日本史年表
西暦 | トピック | 備考 |
---|---|---|
527年 | 磐井の乱 | 地方豪族の反乱 |
538年 | 仏教伝来 | 552年の説もアリ |
587年 | 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす | |
589年 | 隋が中国を統一 | |
592年 | 蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺 | 政治の実権を握る |
仏教伝来については538年という説が有力ですが、552年という説もあります。日本書紀に書かれているのは552年です。
日本史年表問題の正解
(ア)蘇我馬子
崇峻天皇を暗殺し、政治の実権を握ったのは蘇我馬子です。こののちに聖徳太子(厩戸王)とともに推古天皇のもとで政治を行っていきます。
蘇我稲目は崇仏派の中心人物。蘇我馬子の父にあたります。
蘇我馬子の子が「蝦夷」、孫が「入鹿」です。
ともに乙巳の変(645年)で中大兄皇子らに滅ぼされてしまいます。
親子関係を整理すると、
蘇我稲目 → 馬子 → 蝦夷 → 入鹿 の順で「親→子」です。