あれこれ日本史年表問題(12)遷都の順番
日本史年表問題(12)遷都の順番として正しいものは?
(ア)平城京→長岡京→平安京
(イ)平城京→藤原京→平安京
(ウ)長岡京→藤原京→平安京
(エ)長岡京→平城京→平安京
ヒント&チェック
奈良時代の都が平城京。奈良盆地の北部にある都で元明天皇が710年に遷都しました。
奈良時代の後期に道鏡により行われていた仏教政治により国内は混乱し、財政も厳しくなってきていました。こうした中で781年に即位した桓武天皇が平城京からの遷都を行います。
最初は長岡京へ遷都(784年)しますが、桓武天皇の側近でもあった藤原種継が暗殺されたことなどから、平安京へ再遷都することとなりました(794年)。
平安京への遷都とともに山背国(いまの京都)を山城国と改めたこともポイントです。
関連日本史年表
西暦 | トピック | 備考 |
---|---|---|
784年 | 長岡京に都を移す | 桓武天皇による |
792年 | 健児を創設 | 軍団を廃止 |
794年 | 平安京に都を移す | |
802年 | 胆沢城に鎮守府を移す | 坂上田村茂呂による |
805年 | 最澄が天台宗を開く | 806年 空海が真言宗を開く |
長岡京への遷都の10年後に平安京へ再遷都しました。
この時代は平安京の造営と東北地方での戦いが民衆にとって大きな負担となっていました。
このことを藤原緒嗣が「天下の民が苦しむところは軍事と造作である」と批判しています。
藤原緒嗣に対し菅野真道は二大事業(軍事と造作)の継続を主張しました(徳政論争)。
桓武天皇は徳政論争を受け、緒嗣の議を採用し二大事業の廃止を決定しています。
日本史年表問題の正解
(ア)平城京→長岡京→平安京
ワンポイント
- 平城京への遷都…元明天皇による
- 長岡京、平安京への遷都…桓武天皇による