あれこれ日本史年表問題(14)平将門
日本史年表問題(14)古い順に並べたものとして正しいものは?
(ア)前九年の役→平将門の乱→藤原純友の乱
(イ)前九年の役→藤原純友の乱→平将門の乱
(ウ)平将門の乱→藤原純友の乱→後三年の役
(エ)藤原純友の乱→平将門の乱→後三年の役
ヒント&チェック
前九年の役、後三年の役は東北地方で起きた反乱で、源義家が東国の武士とともに鎮圧した戦い。この2つの戦いを通して源氏が東国の武士団を率いるようになってきました。
関連日本史年表
西暦 | トピック | 備考 |
---|---|---|
905年 | 古今和歌集が完成 | 醍醐天皇の命による |
907年 | 唐が滅びる | 五代十国の時代になる |
926年 | 渤海が滅びる | 遼(契丹)により滅ぼされる |
935年 | 平将門の乱 | 東国での武士の反乱 |
939年 | 藤原純友の乱 | 西国での武士の反乱 |
ほぼ同時期に起きたのが平将門の乱と藤原純友の乱です。どちらも地方で力をつけてきた武士団による反乱です。
平将門の乱は桓武平氏の子孫である平将門が起こしたもの。最初は一族内の争いでしたが、北関東(常陸、下野、上野)の国府を攻め滅ぼし、新皇を名乗ります。
関東一円を支配下におくにまで至りましたが、最後は平貞盛、藤原秀衡らにより滅ぼされてしまいました。
藤原純友の乱は瀬戸内海の海賊を率いて、伊予(愛媛)の国府を攻め落としましたが、源経基らによって滅ぼされました。
それぞれキーワードとなるものは下記の通りです。
- 平将門の乱…新皇、桓武平氏、平貞盛、藤原秀衡
- 藤原純友の乱…海賊、伊予、源経基
平将門の乱と藤原純友の乱のことを元号から承平・天慶の乱と呼ぶこともあわせて覚えておきましょう。
周辺国にも変化があった
また、この2つの反乱の少し前には周辺国でも大きな変化がありました。中国では唐が滅び、五大十国の時代に入り、朝鮮半島北部からロシア沿岸にあった渤海も滅んでいます。
日本史年表問題の正解
(ウ)平将門の乱→藤原純友の乱→後三年の役
前九年の役(1051年〜)、後三年の役(1083年〜)は、平将門の乱・藤原純友の乱よりも後の出来事です。