センター試験日本史Bの年代・時代整序問題(6)天皇と藤原氏の争い
藤原氏と言えば天皇の外戚となり権力を握ったことから天皇とは良い関係を築いているように思われますが、ときには天皇と争ったこともありました。
こうした天皇と藤原氏の争いに関しての年代・時代整序問題を作成してみました。
【練習問題】 天皇・皇族と藤原氏の争いに関する出来事を古い順に正しく並べたものを選びなさい。
(ア)二所朝廷と呼ばれる対立から平城上皇側が敗れた
(イ)藤原四子が左大臣を自殺に追い込んだ
(ウ)藤原基経が宇多天皇の勅書を撤回させた
(A)ア→イ→ウ、(B)ア→ウ→イ、(C)イ→ア→ウ
(D)イ→ウ→ア、(E)ウ→ア→イ、(F)ウ→イ→ア
長屋王の変(729年)
- 藤原四子により長屋王が自殺させられた事件
- 外戚としての地位があやうくなったために起こしたもの
- この後、光明子が皇后となった
藤原四子というのは名前ではありません。文字通り4人の子という意味。
誰の子かというと藤原不比等の子(武智麻呂、房前、麻呂、宇合)です。
この4兄弟が自分たちにとって邪魔な存在だった長屋王(左大臣)に謀反の疑いをかけて自殺に追い込んだのが長屋王の変です。
この後、4兄弟があいついで天然痘で亡くなったことが、長屋王のたたりだとも言われました。
薬子の変(810年)
- 平城上皇と嵯峨天皇の対立から起きたもの
- 平城上皇側の藤原薬子が自殺に追い込まれたもの
- 平城太上天皇の変とも呼ばれる
歴史上の人物には、小野妹子のように名前に「子」がついても男性の場合がありますが、藤原薬子は女性です。平城上皇に寵愛を受けていたのが藤原薬子。
二所朝廷と呼ばれる平城上皇と嵯峨天皇の対立から起きたのが薬子の変です。
薬子の兄の藤原仲成も射殺されました。
薬子の変にあたり蔵人所が設けられたのもポイントです。
阿衡の紛議(888年)
- 藤原基経が宇多天皇の勅書を撤回させたもの
日本で初めて関白になったとされるのが藤原基経です。
藤原北家が勢力を持つようになる出来事にもなりました。
練習問題の正解
(C)イ→ア→ウ
選択肢はそれぞれ次の事件のことを指しています。
- (ア)二所朝廷と呼ばれる対立から平城上皇側が敗れた → 薬子の変(810年)
- (イ)藤原四子が左大臣を自殺に追い込んだ → 長屋王の変(729年)
- (ウ)藤原基経が宇多天皇の勅書を撤回させた → 阿衡の紛議(888年)