日本史Bの年代・時代整序問題(3)藤原氏の乱、変

センター試験日本史Bの年代・時代整序問題(3)藤原氏の乱、変

藤原氏が権力を握る過程で自作自演を含め様々な出来事(乱、変)を起こしています。
これに関する年代・時代整序問題を作成してみました。

 

【練習問題】 藤原氏が関連した乱や変の説明で年代順に正しく並べたものを選びなさい。
(ア)孝謙上皇、道鏡と対立し、挙兵するが滅ぼされた
(イ)吉備真備と玄ムの処分を求めて九州で反乱を起こした
(ウ)左大臣の源高明を左遷した

 

(A)ア→イ→ウ、(B)ア→ウ→イ、(C)イ→ア→ウ
(D)イ→ウ→ア、(E)ウ→ア→イ、(F)ウ→イ→ア

 

藤原氏が関連した乱、変でも藤原氏側が敗れたものもあります。
キーポイントとなる出来事なので覚えておきましょう。

 

藤原氏の他紙排斥に関するトピック

藤原氏が権力を握る過程での出来事には下記のものがあります。

年代名称出来事
729年長屋王の変不比等の子4兄弟が長屋王を自殺に追い込む
740年藤原広嗣の乱吉備真備らの排除を求めた反乱(鎮圧される)
757年橘奈良麻呂の変藤原仲麻呂を倒そうとしたもの(失敗)
764年藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱孝謙上皇、道鏡と恵美押勝の対立
810年薬子の変(平城上皇)の変平城上皇と嵯峨天皇の対立、薬子が自殺
842年承和の変藤原北家の台頭
866年応天門の変藤原良房が伴氏、紀氏を排斥
888年阿衡の紛議藤原基経が宇多天皇の勅書に抗議
901年昌泰の変藤原時平が菅原道真を左遷
969年安和の変源高明を左遷

 

九州の大宰府が関係しているものが2つ。

 

大宰府で反乱を起こしたのが藤原広嗣の乱
これは失敗に終わります。

 

反対に藤原氏が菅原道真を大宰府に左遷したのが昌泰の変
のちに道真のたたりを恐れて祀られたのが北野天神です。

 

たたり」つながりで言えば、不比等の4人の子があいついで病死したのが長屋王のたたりだと思われていました。無実の罪をきせて長屋王を自殺に追い込んだのが藤原不比等の4人の子。

 

その後、4人とも病死(天然痘)したことで、長屋王のたたりだとおそれられ、これを鎮めるために聖武天皇が国分寺建立の詔(741年)、大仏造立の詔(743年)を出したと言われています。

 

 

練習問題の正解

(C)イ→ア→ウ

 

(イ)吉備真備と玄ムの処分を求めて九州で反乱を起こした
→ 藤原広嗣の乱(740年)

 

(ア)孝謙上皇、道鏡と対立し、挙兵するが滅ぼされた
→ 藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱(764年)

 

(ウ)左大臣の源高明を左遷した
→ 安和の変(969年)

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