大学受験日本史Bの年代・時代整序問題(5)地方征服

大学受験日本史Bの年代・時代整序問題(5)地方征服

日本史Bの年代・時代整序問題(5)地方征服

大和朝廷は東北地方(蝦夷)を制圧するために次々と城柵を築いています。
この順番に関する年代・時代整序問題を作成してみました。

 

【練習問題】 東北地方の次の城が築かれた年代順に正しく並べたものを選びなさい。
(ア)胆沢城
(イ)秋田城
(ウ)多賀城

 

(A)ア→イ→ウ、(B)ア→ウ→イ、(C)イ→ア→ウ
(D)イ→ウ→ア、(E)ウ→ア→イ、(F)ウ→イ→ア

 

蝦夷や隼人の統治

大和朝廷が地方へ勢力を拡大するときに相手となったのが蝦夷隼人とよばれる人々です。
東北地方にいたのが蝦夷、九州(薩摩、大隅)にいたのが隼人。

 

特に東北地方の蝦夷との戦いは長期に及びました。
そこで、蝦夷を征討するために設けられた役職が征夷大将軍です。

 

のちに武士のトップとなる役職ですが、当初の目的は東北地方の蝦夷との戦いのリーダーです。坂上田村麻呂らが任命されました。

 

坂上田村麻呂が戦った蝦夷のリーダーが阿弖流為(あてるい)。
阿弖流為との戦いに勝利した坂上田村麻呂が築いたのが胆沢城(いさわじょう)。

 

多賀城からここに鎮守府を移しました(ココがポイント!)。
ということは、多賀城のほうが胆沢城よりも先に築かれたということです。

 

蝦夷側のリーダーとしては阿弖流為のほかに伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)も覚えておきましょう。政府に対し反乱を起こしたものの鎮圧されています。

 

年代 出来事 天皇
658年 阿倍比羅夫が蝦夷を討つ 斉明天皇
708年 出羽柵を設置 元明天皇
712年 出羽国を建てる 元明天皇
713年 大隅国を建てる 元明天皇
724年 多賀城を築く 聖武天皇
733年 秋田城を築く 聖武天皇
780年 伊治呰麻呂の乱 光仁天皇
802年 胆沢城を築く 桓武天皇
803年 志波城を築く 桓武天皇

 

練習問題の正解

(F)ウ→イ→ア

 

奈良時代の東北地方の拠点となっていたのは多賀城(724年)ですが、平安時代に入り胆沢城に鎮守府が置かれるようになりました。

 

なお、日本海側で最も北に位置するのが秋田城(733年)、太平洋側で最も北に位置するのが志波城(803年)です。

 

多賀城(724年) → 秋田城(733年) → 胆沢城(802年)