蘇我ナントカに関する日本史の問題
仏教公伝に際し崇仏派として排仏派の物部尾輿と対立した人物として正しいものを選べ。
(A)蘇我馬子
(B)蘇我蝦夷
(C)蘇我稲目
ヒント:選択肢の人物が活躍した時代
538年 | 仏教公伝(552年説もあり) |
---|---|
589年 | 隋が中国を統一 |
603年 | 冠位十二階を制定 |
604年 | 憲法十七条を制定 |
607年 | 遣隋使として小野妹子を派遣 |
618年 | 隋が滅び、唐が中国を統一 |
645年 | 大化の改新 |
正解 : 崇仏派として排仏派の物部尾輿と対立した人物
(C)蘇我稲目
・崇仏派として排仏派の物部尾輿と対立したのは蘇我稲目
・物部氏との対立は息子の蘇我馬子の時代まで続く
・仏教公伝は欽明天皇の時代にされたもの
試験に出る蘇我ナントカ
蘇我ナントカの関係図
稲目→(子)馬子→(子)蝦夷→(子)入鹿
- 蘇我稲目の子が蘇我馬子
- 蘇我馬子の子が蘇我蝦夷
- 蘇我蝦夷の子が蘇我入鹿
蘇我稲目(そがのいなめ)
- ?年〜570年?
- 宣化天皇、欽明天皇に仕える
- 仏教を受け入れるよう勧めた崇仏派の中心
- 排仏派の物部尾輿と対立(崇仏論争)
蘇我馬子(そがのうまこ)
- ?年〜626年?
- 敏達天皇、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇に仕える
- 排仏派の物部守屋を滅ぼす
- 飛鳥寺(法興寺)を建立
- 推古天皇の下で聖徳太子と冠位十二階や十七条憲法を定める
- 聖徳太子とともに「天皇記」「国記」を記す
- 石舞台古墳が馬子の墓だとされている
蘇我蝦夷(そがのえみし)
- ?年〜645年?
- 推古天皇、舒明天皇、皇極天皇に仕える
- 子の入鹿が殺害された後に自害する(乙巳の変)
蘇我入鹿(そがのいるか)
- ?年〜645年?
- 皇極天皇に仕える
- 聖徳太子の子とされる山背大兄王を滅ぼす
- 乙巳の変で中大兄皇子、中臣鎌足により暗殺される
よく出る蘇我ナントカ問題
答えが蘇我馬子となる問題
- 日本最古の寺院である飛鳥寺(法興寺)を建立したのは?
- 聖徳太子とともに「天皇記」や「国記」を編集したのは?
- 物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺したのは?
答えが蘇我入鹿となる問題
- 乙巳の変で皇極天皇の前で暗殺されたのは?
- 聖徳太子の子とされる山背大兄王を滅ぼしたのは?