藤原ナントカに関する日本史の問題(1)
刑部親王とともに701年に大宝律令をまとめた人物は?
(A)藤原鎌足
(B)藤原不比等
(C)藤原仲麻呂
ヒント:選択肢の人物が活躍した時代
645年 | 乙巳の変(大化の改新) |
---|---|
701年 | 大宝律令の完成 |
710年 | 平城京へ遷都 |
723年 | 三世一身の法 |
741年 | 国分寺建立の詔 |
正解 : 大宝律令をまとめた人物
(B)藤原不比等
・大宝律令をまとめ律令制度による政治を整えた
・律は刑法、令は行政法・民法にあたる
・718年には養老律令も完成させている
試験に出る藤原ナントカ
藤原のナントカ関係図(1)
鎌足→(子)不比等→(孫)仲麻呂
- 藤原鎌足の子が藤原不比等
- 藤原不比等の4人の子が「藤原四家」を興す
- 藤原四家の中の藤原武智麻呂(南家)の子が藤原仲麻呂
藤原四家(ふじわらしけ)
- 藤原不比等の4人の子が興した4つの藤原家のこと
- 南家、北家、式家、京家の4つ
- 4家を興した4人を藤原四子と呼ぶ
- 南家…藤原武智麻呂(むちまろ)、武智麻呂の子が藤原仲麻呂
- 北家…藤原房前(ふささき)、房前の子が藤原清河(遣唐大使)
- 式家…藤原宇合(うまかい)、宇合の子が藤原広嗣
- 京家…藤原麻呂(まろ)
- 平安時代以降は北家が栄える
- 不比等の死後、実力者であった長屋王を滅ぼす(長屋王の変)
- 四家を興した4人とも天然痘で相次いで亡くなる
藤原(中臣)鎌足(ふじわらのかまたり)
- 614年〜669年
- 天智天皇から藤原の性を賜わる
- 中大兄皇子とともに乙巳の変で蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼす
- 新政府では内臣(うちつおみ)となる
藤原不比等(ふじわらのふひと)
- 659年〜720年
- 藤原鎌足の子
- 律令制度による政治の仕組みを整える
- 刑部親王とともに大宝律令(701年)をまとめる
- 養老律令(718年)を完成させる(施行したのは仲麻呂)
- 娘の宮子が文武天皇の妻として聖武天皇を生む
- 娘の光明子(光明皇后)が聖武天皇の皇后となる
- 藤原氏が外戚となり権力を振るうことになる始まり
藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)
- ?〜740年
- 藤原不比等の孫(式家・藤原宇合の子)
- 藤原四子の死後に力を持った玄ム、吉備真備の追放を求め九州の太宰府で反乱を起こす(藤原広嗣の乱)
- 大野東人(おおののあずまびと)を将軍とする征討軍に鎮圧される
藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)
- 706年〜764年
- 藤原不比等の孫(南家・藤原武智麻呂の子)
- 養老律令を施行
- 紫微中台の長官
- 光明皇太后の信任を得て台頭
- 橘奈良麻呂を滅ぼす(橘奈良麻呂の乱)
- 淳仁天皇を擁立して即位させる
- 淳仁天皇から恵美押勝(えみのおしかつ)の名を賜わる
- 孝謙上皇の信頼が道教に移ったため反乱を起こすが逆に滅ぼされる(恵美押勝の乱)