日本史の紛らわしい人物問題(大学受験対策)

日本史の紛らわしい人物問題(大学受験対策)

ナントカで学ぶ大学入試日本史問題

阿倍ナントカ藤原ナントカなど日本史で出てくる同じような紛らわしい人物名を問題形式でまとめています。
紛らわしい人物名は選択肢として並んで出題されることが多いので、正確な知識を身につけておくことが必要です。

 

蘇我ナントカに関する大学入試日本史問題

仏教公伝に際し崇仏派として排仏派の物部尾輿と対立した人物として正しいものを選べ。

 

(A)蘇我馬子
(B)蘇我蝦夷
(C)蘇我稲目

 

ヒント:選択肢の人物が活躍した時代
538年 仏教公伝(552年説もあり)
589年 隋が中国を統一
603年 冠位十二階を制定
604年 憲法十七条を制定
607年 遣隋使として小野妹子を派遣
618年 隋が滅び、唐が中国を統一
645年 大化の改新

 

 

 

阿倍ナントカに関する大学入試日本史問題

斉明天皇の時代に北陸・東北地方に派遣され、蝦夷征討を行った人物は?

 

(A)阿倍仲麻呂
(B)阿倍内麻呂
(C)阿倍比羅夫

 

 

藤原ナントカに関する大学入試日本史問題(1)

刑部親王とともに701年に大宝律令をまとめた人物は?

 

(A)藤原鎌足
(B)藤原不比等
(C)藤原仲麻呂

 

ヒント:選択肢の人物が活躍した時代
645年 乙巳の変(大化の改新)
701年 大宝律令の完成
710年 平城京へ遷都
723年 三世一身の法
741年 国分寺建立の詔

 

 

藤原ナントカに関する大学入試日本史問題(2)

「天下の民が苦しむところは軍事と造作である」と桓武天皇に進言したのは?

 

(A)藤原薬子
(B)藤原種継
(C)藤原緒嗣