あれこれ日本史年表問題(5)白村江の戦い

あれこれ日本史年表問題(5)白村江の戦い

あれこれ日本史年表問題(5)白村江の戦い

日本史年表問題(5)白村江の戦いで倭が戦った相手は?

(ア)唐と新羅の連合軍
(イ)唐と百済の連合軍
(ウ)唐と高句麗の連合軍
(エ)新羅と高句麗の連合軍

 

ヒント&チェック

白村江の戦の前に百済は滅びています。この百済を復興させることを目的に、倭が旧百済勢力と組んで戦ったのが白村江の戦いです。

 

白村江の戦いで敗れた倭(日本)は、九州北部や対馬に防衛のための城を築くこととなります。また、倭が外国勢力に占領されるとの危機感も高まり、中央集権による国家づくりが進められることにもつながりました。

 

関連日本史年表
西暦 トピック 備考
660年 百済が滅びる 唐と新羅の連合軍による
663年 白村江の戦い 百済復興を支援するためのもの
668年 高句麗が滅びる
667年 近江大津宮に都を移す 中大兄皇子による(翌668年天智天皇に)
676年 新羅が朝鮮半島を統一

白村江の戦いで敗れた倭(日本)は大野城基肄城(きいじょう)などの朝鮮式山城を築きました。

 

日本史年表問題の正解

(ア)唐と新羅の連合軍

 

このころの朝鮮半島は百済、新羅、高句麗の三国が争っていました。倭と最も結びつきが強かったのが百済です。

 

その中で百済が最初に新羅と唐の連合軍により滅ぼされます。その後、高句麗も新羅と唐の連合軍に滅ぼされ、朝鮮半島は新羅が統一することとなりました。